不軽山 荘厳院 香仙寺

不軽山 荘厳院 香仙寺_歴史

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由緒沿革



永享4年(1432)那珂市瓜連常福寺三世、明誉了智上人により、師の酉蓮社了誉聖冏上人の十三回忌報恩のため一宇を建立されました。
了誉上人は、暦応4年(1341)に久慈郡岩瀬で生まれ、8歳で常福寺に入り11歳にして内外の書籍を自見したと言われ、46歳で常福寺の主となりました。
明徳元年(1390)、佐竹の乱の難を避けて不軽山の洞窟(直牒洞)に身を寄せ、参考文献の無い中、浄土宗の学的基礎を確立しました。 (五重相伝)
増上寺開山浄土宗第八祖聖聰上人は、師である聖冏上人の体を気遣い、現在の東京小石川伝通院に庵を造り師を迎えたのである。
応永27年(1420)9月27日 聖冏(了誉・弦月上人) 世寿80 伝通院にて遷化する。
寺伝によれば、了誉聖冏上人の十三回忌以前に、源頼朝の妻政子の庇護により新善光寺が創建された。後に香仙人なる人物が居住したが、冏師十三回忌の折に浄土宗寺院となり、香仙人の名をとり「不軽山荘厳院香仙寺」と称するようになったという。
また、直牒洞内の阿弥陀三尊像彫刻様式や、脇寺の横にある年代からも、了誉聖冏上人がここに身を寄せる以前から直牒洞や壁面に刻された阿弥陀三尊は、存在していたものと推測される。
昭和41年、香仙寺域にある聖冏禅師史跡直牒洞保全会が結成され、窟内の出入りを規制し、柵を廻らして保全することになった。
昭和45年、直牒洞の石仏が県文化財に指定される。
平成17年より5ヵ年計画にて、法然上人800年大御忌にあたり、檀信徒一丸となり香仙寺本堂を新たに建立した。



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